南蛮人像の愛称が決定しました
たくさんのご応募ありがとうございました
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■愛称
「橋上 ポルト之助」(ハシノウエ ポルトノスケ)
提案者:たわん氏、ポルトの助氏
■提案コンセプト
ポルトガルの水都アヴェイロにあるネクタイ橋のように、恋人や旅人が「恋愛成就」や「旅の安全」を願い、南蛮橋にリボンを結びにくる観光スポットにしたいと考え、下記のようなストーリーを提案する。
・堺へ漂着したポルトガル人は、堺の町娘に助けられる。
・ポルトガル人は事故のショックで自分の名前を忘れており、町娘はその身形から親しみを込めて「ポルト之助」と呼ぶことにした。
・ポルト之助は自分を介抱してくれた町娘に密やかな恋心を抱くが、互いの境遇の違いからその気持ちを打ち明けることができなかった。
・やがて、ポルト之助はポルトガルへと帰国することになり、別離が近づく中で、町娘もポルト之助に惹かれている自身に気付くが、想いを言葉にすることができず、自分の小袖の端を割いて想いを込め、ポルト之助の手首へと巻いた。
・旅立ちの日、意を決して自分を追って来た町娘に、ポルト之助は「必ず戻る」と約束して自身のマントの端を割いて渡す。
・ポルト之助は町娘を迎えに再び堺に来て、再会した二人は結ばれる。
・以降、互いの幸せを何よりも願う二人の恋にあやかって、ポルト之助の故郷ポルトガルにある水都アヴェイロのネクタイ橋の様に、そこに来た旅人は「恋愛成就」や「旅の安全」を願い、リボンで橋の欄干を彩ることとなる。
■選定理由・評価
・南蛮人像の特徴をとらえ、親しみやすさや好感がもてる。
・南蛮人の設定からポルトガルの港湾都市「ポルト」に因んだ愛称。
・提案された愛称の設定・コンセプトが南蛮人像に合致し、環濠エリアへの誘客に資するものである。
■応募総数
1,192点
■南蛮人像について
所 在 地
堺市堺区栄橋町1丁9-3 南蛮橋上
材質等
アルミ鋳物
経過
1987年南海本線の高架化に伴い、南海堺駅が北側に移転し、内川に「南蛮橋」が架けられた際に設置。ポルトガル人という設定。
■愛称募集趣旨
環濠エリアは歴史的なまちなみなど、堺ならではの魅力を感じることができ、内川・土居川は戦国時代から続く環濠の名残である。このエリアを中心に国際貿易都市として発展し、特に南蛮貿易で堺商人が活躍した歴史があります。
内川に架かる「南蛮橋」上に南蛮人像があり、過去と現代、地元と来訪者の結節点となるべく、愛着を持てる名前(愛称)を募集しました。